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未解決事件で眠れなくなろうぜ[Part2]

VIP/ネタ


未解決事件で眠れなくなろうぜ[Part2]
1: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/01(日)18:37:13 ID:QpI

メインは日本の事件でいく

未解決事件で眠れなくなろうぜ[Part1]はこちら


2: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/01(日)18:37:46 ID:COC

こい!


68: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:13:26 ID:cnf

不気味過ぎる【青ゲット殺人事件】



この事件とは、明治39年(1906)2月11日の午後9時頃のことであった。

吹雪の中をO町Fにある回船問屋、橋田時助商店に一人の男が訪れ、同店の番頭、高木昭一(当時30歳)に面会を求めてきた。

家人の取次ぎで昭一が玄関に出てみると、その男は、「私は、T村の高木さんの親戚から使いとしてきた者ですが『親戚のおばあさんが急病で倒れたので、すぐ来て欲しい』とのことなので、迎えに来ました」といって昭一を同店から連れ出していった。

それから大体2時間ほど経った後、今度はO町Kにある昭一の自宅にも、30歳くらいの男が青ゲット(毛布)を頭からすっぽりかぶって訪れ「私は使いの者ですが、T村の親戚のおばあさんが重い病気に罹(かか)り『是非とも、O町のおっ母さんに会いたい』といっているので迎えに来ました」といって、昭一の母ツネ(当時50歳)を連れ出した

その後、1時間程してまた先ほどの男が昭一方にきて、母ツネを呼び出したと同様の方法で、昭一の妻リョウ(当時25歳)を連れだしたのである。

更に40分ほど後に、昭一の子供(当時2歳の女の子)まで連れ出そうとして同家に来た時は、隣の家の長井貞治氏の妻タエが留守番をしていて入口の青ゲットをかぶって立っている男に不審をいだき、その求めに応じなかったため危なく難を逃れたのであった。

なお隣家の長井タエは昭一の妻リョウが出ていくとき、留守番を頼まれて高木宅に来ていたものである。

また、肝心のT村の親戚には、誰も病人が無く、使いの者を頼んだ事実もないことから、青ゲットをかぶった男が嘘を言って、昭一ら3人を連れ出したことが判明した。

問題の青ゲットの男は、目撃者の話によると、年齢30歳くらいと思われるが、人相については、手拭いをほおかむりにして頭からすっぽりかぶっていたので、はっきりとわからなかったとのことであった。

続きあり


69: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:14:22 ID:cnf

>>68続き

明治39年(1906)2月12日午前5時頃、N川河口にかかるT橋(当時は木橋)は、昨夜来の吹雪によって新雪で覆われていた。

寒中とはいえ、朝起きの早いT村の大工が、対岸のO町で建設中の仕事を片づけるため、まだ誰も通っていない新雪を踏みしめながら、いつもの通り急ぎ足でT橋を渡り始めた。

約500メートルもある長い木造の橋の丁度中ほどまできた時、大工は目の前の異様な状態に思わず立ちすくんでしまった。そこには、あたり一面白い雪がまっ赤に染まり、おびただしい血痕が散らばっていたからである。

更に、その脇にある欄干の一部は、斧でバッサリ切り落とされたように無くなっており、死体もろともN川に投げ込まれたような形跡であった。大工はとっさに誰かがここで殺されたと直感した。

と同時に急に背筋が寒くなり、急を知らせようとする足取りも雪の上を滑ってなかなか進まなかったという。

それから間もなくO警察署にこの事件の第一報が入り、死体なき殺人事件として、血まなこの捜査が行われたのである。


70: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:24:34 ID:cnf

これもヤバい【歯科助手挙式直前失踪事件】




まずは動画を見ないと始まらない。おまいらなりに考察しながら見てくれ。事件についてのインタビューが怪しかったな。

http://www.youtube.com/watch?v=N9otSAFHisA


挙式を直前に控えて寿退職した21歳の女性が車で帰宅途中にこつぜんと姿を消したまま現在も行方不明に、後日、自宅の近くで昨日勤め先の歯科医院で退職のお祝いに贈られた生花の花束を助手席に乗せたままの 不明女性の車が発見される。

失踪から1年後不明女性の自宅に謎の電話。

「もしもし、私お姉ちゃんだよ」という内容だが声は明らかに中年女性のもので問いただすとすぐ電話は切れた。


71: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:28:29 ID:cnf

これは情報が少なすぎて恐い

【安達 俊之さん失踪事件】



失踪当日、車で母親を歯医者に送りそのまま出勤。午後6時頃、同僚の女性とともに友人宅を訪れるが、友人は不在で家人が対応。その後午後7時~7時半の間、別の友人が白山町交差点で助手席に女性を乗せている俊之さんの車とすれ違ったのが最後の目撃情報。

その日は帰ってこなかったが、それまでも2~3日家を留守にすることがあったので両親も特段気にとめなかったが、22日か23日に勤務先から無断欠勤しているという連絡があって失踪に気づいた。

通帳も印鑑も持たず、まとまった金銭も持っていない。自動車も見つかっていない。28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。その10分後にも無言電話があった。


引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1422783432/

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72: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:33:46 ID:cnf

これは胸糞な事件

【四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件】



四日市市のジャスコ四日市尾平店(現:イオン四日市尾平店)にあるATMコーナーで、子ども連れの若い女に泥棒扱いされた無実の68歳の男性が、店員や買い物客ら3人に取り押さえられ、居合わせた四日市南警察署の警察官の拘束後に死亡した。

男性の死因は「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」と発表されたが、この「ストレス」は逮捕・制圧の際の精神的・肉体的苦痛によるものと推測される。

店員や買い物客が男性を制圧している隙に女は逃走しており、三重県警察は虚偽告訴罪の被疑者として捜査を続けていたが、2011年(平成23年)2月17日午前0時に窃盗未遂事件としては公訴時効となった。
※以下、防犯カメラに写った女の画像


75: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:42:44 ID:o7L

熊取町7人連続怪死事件

-経緯-
平成4年4月25日、大阪府泉南郡熊取町の板金工Aさん(当時17歳)が池に転落して死亡した。

この事故死を発端に僅か4万5000人弱の町でしかも半径600m以内で6人(1人は町内)の若者が連続して死亡した(警察の発表では、シンナー吸引後に死亡した2人は事故死。5人は自殺と断定)。


76: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:44:02 ID:o7L

事故死したAさんとBさんは、自殺と断定されたCさん、Dさん、Eさん達と同じ暴走族の仲間だった。

事故死の2人を除いて、Cさんらに共通しているのは、自殺するほどの動機が無く、尚且つ遺書が無いことだった(Cさんは、借金を返してほしいと書いたメモを残している)。

特に、Dさんは結婚間近で婚約者が妊娠しており出産を楽しみにしていた。不審な点は、Dさんは生前に親や仲間に、「白い車に追われている」と言っていた。

FさんとG子さんは互いに面識は無い。勿論、Cさんらの暴走族仲間とも面識が無い。そして、この2人にも自殺する動機は無かった。Fさんは、岸和田市のゴミ清掃員で勤務態度は真面目。陸上サークルに所属して健康的な青年だっった。

G子さんは、同町にある女子体育大学の1年生で、部活は陸上部に所属。亡くなる前日、部活が終わると、ドラマを録画してほしいと親に電話連絡をしている。そんなごくありふれた日の翌日午前8時、グラウンドの裏でナイフを刺して死亡していた。

G子さんは、生前「黒いクラウンにつけられた」と友人に話していたという。また、死亡する直前に「違う、違う・・・」とうわ言のように言ったようだが、一体なにが違うと言いたかったのだろうか?


77: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)02:45:14 ID:o7L


-水曜か木曜日-

この狭い町で、7人が事故死あるいは自殺が起きた。それも、水曜日か木曜日。全てではないが、初七日かもしくはその前後に亡くなっている。

警察では、仲間が死んだことによる孤独感が一種の虚脱につながり連鎖自殺したのではないかと指摘しているが、それにしても不審な点が多い事件である。


80: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)03:29:31 ID:cnf

【王将社長射殺事件】

王将社長射殺事件とは、2013年12月19日に王将フードサービスの当時の社長である大東隆行が射殺された事件。

容疑者は2014年6月現在でも逮捕されておらず、未解決事件となっている。2013年12月19日早朝、京都市山科区の王将本社前にて大東が自身で運転していた自動車付近に倒れているところを通報されて病院へ搬送されたが、死亡が確認された。

死因は拳銃による銃殺だと見られている。大東は午前5時半頃に自宅を出て車で10分の距離に存在する本社に通勤していたことから、警察は5時45分頃に現場付近で何者かに銃撃されたと見ている。犯行に使われたのは小型の25口径の自動式拳銃であり、至近距離から撃たれたと考えられている。

4発の銃弾が撃たれ、全てが急所に命中していた。犯人は逃走にバイクを使用したとみられており、捜査本部などへの情報提供は300件を超えているが、未だ有力な情報は得られていない。


81: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)04:06:03 ID:CDZ

未解決事件かどうか知らんが

能登半島沖不審船事件

1999年(平成11年)3月23日に発生した、数隻の不審船による日本領海侵犯事件とその逃走時に生起した海上自衛隊および海上保安庁による追跡行の一連の騒動を指す不審船、警告射撃や対戦爆弾投下、イージス艦の主砲での威嚇にもひるまず猛スピードで逃走を続けた。

が、エンジンの不調か突然停船したため、政府は初の海上警備行動を発令追跡を行っていたイージス艇「みょうこう」に立ち入り検査を命じたが、当時の世界の海軍には立ち入り検査はあまり浸透しておらず。

また立ち入り検査隊もできて間もないころだったため訓練を一回も行ったなかったうえ選ばれた隊員たちは自分が立ち入り検査隊員であることを知らない隊員がほとんどであった。

隊員たちは一回も訓練したことが何のに撃ったこともない拳銃を持たされボディーアーマーがないため分厚い雑誌などをぐるぐる巻きにして隊員たちは覚悟を決め立ち入り検査に臨んだ。

北朝鮮の不審船はもうだめだという時は自爆を行いうため。隊員たちが生還できる確率はほとんどなかった。だが不審船は立ち入り検査直前に動き始め立ち入り検査は行われなかった。その後数時間の追跡の末不審船は北朝鮮の領海内に逃げてしまった。

不審船には、数名の拉致被害者が乗っていたと思われておりそれが誰なのかは不明である。またこの事件を教訓に海上自衛隊では特殊部隊「特別警備隊」が編成された


82: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)04:11:18 ID:cnf

>>81
悔しいな。日本人にとっては最後の希望だったろうに


90: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)05:33:46 ID:cvk

こっちの方が胸糞だけどな
これも地元で起きた殺人事件

犯人は現職の警察官。金借りてた老夫婦を殺して放火。事件後も普通に生活してたが逮捕され、最初は容疑を認めたがその後、容疑を否認し証拠不十分で釈放、不起訴。警察官は県外へ。地元のニュースで最後は言葉濁してた。

「自分はやってないかもしれない。だからもう追わないでくれ」と。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki


92: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)05:37:20 ID:cnf

未解決事件ではないけど胸糞だった


94: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)05:43:19 ID:cvk

>>92
犯人はまだ捕まってないけど、警察官は多分マークはされてるだろうな

当時県警のトップが謝罪してたけど不起訴とか意味不明すぎた


96: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)06:02:48 ID:cnf

>>94
なんだよそれ意味わからん。しかもwiki消されてね?闇が深いな


93: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)05:40:12 ID:DyE

警察の闇を追及する人は消される


95: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)05:56:22 ID:Ig1

眠れなくなったった


102: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)11:05:56 ID:CDZ

警察は人で少ないのに仕事多過ぎだからなあ・・・これからテロ対策でさらに仕事が増えるから数万人増員した方がいい

ただでさえ、外国と比べて警官が少ないんだら


103: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)21:10:36 ID:dpL

これは闇が深い【悪魔の詩訳者殺人事件】




1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。現場からO型の血痕(被害者の血液型ではないため、犯人の血液型とされた)や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。

五十嵐助教授は1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳している。

1989年2月にイランの最高指導者のアーヤトッラー・ホメイニーは反イスラーム的を理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告を行っていたため、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた


105: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)21:18:50 ID:dpL

【京都東山身元不明女児殺人死体遺棄事件】

※事件新聞記事



1970年3月15日朝、京都市東山区の山中で、死後一週間の四歳くらいの女の子の死体が見つかった。現場に背負い帯が落ちており、クツだけをはいていないことなどから、現場以外の場所で殺されて捨てられたものと思われる。女児は胸を強打していた。


108: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)21:23:05 ID:dpL

胸糞注意【沼田女子高生殺人事件】




1974年5月18日早朝、群馬県沼田市で通学途中の女子高生、吉野良子さん(当時16)が乱暴されたうえ殺害された。

良子さんは18日朝、自宅を出て学校に向かったが登校せず、心配した家族が警察に届け出て付近を捜索。翌19日午後4時半すぎ、父親が、自宅から約300メートル離れた、良子さんの通学路にあたる林道のがけのふちに人が滑り落ちたような跡を見つけ、急斜面を下りて約7メートルの所で良子さんの手提げ袋を発見した。

さらに約20メートル下の岩陰で、良子さんの遺体を発見した。良子さんは制服にスカート姿だったが、靴は片方しかはいておらず、下着を奪われていた。右胸から心臓にかけて鋭利な刃物で刺されており、傷は心臓まで達していて即死状態だった。犯人の体液も残されていたが、血液型の判明はできなかった。


115: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)21:35:49 ID:dpL

これは個人的に切なかったやつ

【1975/09/21事件名不明】



北海道で中1女子(12)が行方不明に。翌日千歳市役所に「一人誘拐した。三千万円用意しろ。もう一人誘拐する。」という不審電話がかかる。

※この少女は19年前に遺骨が発見されています。

以下、北海道新聞 平成6(1994)年10月13日付夕刊より。

千歳で発見の頭がい骨 19年前の不明少女と断定歯と復元法で一致

当時、誘拐の疑いで捜査 千歳署

【千歳】七月に千歳市内の雑木林で見つかった女性の頭がい骨の身元を調べていた千歳署は13日、1975年9月21日から行方不明の千歳市内の女子中学生(当時)のものと断定した。

この中学生は誘拐事件に巻き込まれた疑いもあったが、手掛かりがないまま、捜査は打ち切られていた。二人暮らしだった父親は交通事故で死亡しており、行方不明から19年たって見つかった遺骨を、同署は遺族を捜して引き渡す。

頭がい骨は7月28日、千歳市中央の国道337号から東に約850Mの雑木林で、一部が土の中に埋まった状態で、胆辰管内、早来町内の造材業者が見つけた。下あごの部分がなく、外傷もなかった。

尚、記事によると彼女のお父さんは89年4月、兵庫県明石市で交通事故で亡くなっていたそうです。


116: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)21:53:37 ID:dpL

【歌舞伎町ラブホテル殺人事件】



歌舞伎町のラブホテルを舞台にした、3つの未解決事件がある。1981年のことである。

まず3月20日午前10時頃、新宿駅に近いラブホテル「ニューエルスカイ」で、女性が首を絞められて殺されているのが発見される。ホテルの部屋に残された名刺から歌舞伎町のホステスA子さん(自称33歳)と判明する。勤め先のキャバレーの履歴書が調べられると、大阪府此花区出身と書かれていた。

つづいて同年4月25日、歌舞伎町2丁目の「コカパレス」2階の客室で身元不明の若い女性B子さんが殺された。彼女の身元はついにわからなかった。

同年6月14日(日曜日)午後7時50分、ラブホテル「東丘」で埼玉県川口市の工員C子さん(17歳)が犠牲となった。

この3女性それぞれの同伴者は、A子さんは若い男、B子さんは3、40代のサラリーマン風の男、C子さんは30~35歳くらいの丸顔に黒ぶちメガネのサラリーマン風の男だった。 1996年3月から6月にかけて、いずれの事件も時効が成立している。

歌舞伎町関連おまけ

【赤い車と二人の少女】



ラブホテルではないが、歌舞伎町を舞台にした未解決事件がある。一連の事件の1年後、1982年6月の事件である。

6月6日、家出中だった品川区白金台の女子中学生・M子さん(14歳)と茨城県在住の友人X子さん(当時14歳)の2人は、新宿・歌舞伎町のディスコ「ワンプラスワン」で午前4時ごろまで踊っていたが、閉店後、近くのゲームセンターで声をかけてきた若い男と出会った。男と少女たちはファーストフード店でお茶を飲み、そのうちにドライブに誘われた。

男の赤いスポーツカーは千葉方面に向かっていた。M子さんが助手席、X子さんは後部座席に乗っていたが、X子さんは遊び疲れたのか、いつのまにか眠ってしまった。

X子さんが目を覚ますと、車は山中に停められており、2人はいなかった。そこに男が戻ってきて、X子さんに「散歩しよう」と言ってきて歩き始めたところ、突然顔を殴られ、後ろから首を絞められて失神した。

2人が連れて来られたのは千葉市横戸町の花見川サイクリングコースだった。X子さんが意識を取り戻した時、M子さんはすでに殺害されていた。X子さんは泣きじゃくりながら歩いているところを近くの人に保護された。

M子さんは押し倒されており、顔は全面紫色、両足のアキレス腱と首の頸動脈が切られていた。乱暴しようとして抵抗されたので殺害したように見られたという。その後、現場近くで2人の首を絞めたと見られるゴムホースと、果物ナイフが見つかっている。

M子さんは前年12月初め、茨城県古河市から品川区に引越し、区立高松中学校に通っていた。両親は早くに離婚しており、ずっと茨城の祖母に育てられていたが、東京の母親と暮らすようになったからである。ところが5月末に家出をして、X子さんに会いに古河市まで行き、2人で一緒に家出した。

X子さんが目撃した男は25歳前後、身長170cmぐらい。小豆色の大型のスポーツカー(品川ナンバー)に乗っており、髪は首まで伸びたパーマ(当時流行のいわゆる「俊ちゃんパーマ」)、ツートンカラーのポロシャツ、そしてサングラスをかけていた。

「俺は大学生」「姉と2人暮らし」と話していた。X子さんはこの男に対して「陰気」という印象を持ったという。モンタージュ写真が作成されたが、、手がかりすら浮かばず。結果的には1997年6月6日に時効を迎えた。

犯人は大学生を自称し、品川ナンバーの車を乗り回していた。実家住まいで、裕福な家庭の息子、という想像ができる。今頃は普通のサラリーマンという顔をして街を歩いているのかもしれない。


122: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:16:13 ID:dpL

迷宮入りとなった【佐賀女性連続殺人事件】




1989年1月27日、佐賀県内で87~89年に行方がわからなくなっていた女性3人の遺体が同県北方町の山林で発見される。さらにその手口から1975年から1982年にかけて、県内で女性4人が殺害されるという事件との関連が浮上した。

「百武律子さん・山崎十三子ちゃん殺害事件」

1980年6月24日、佐賀県杵島郡白石町の須古小学校北校舎の低学年用トイレの便そうの中で、衛生会社のし尿の汲み取り作業中、女性の腐乱死体が発見された。さらに捜査を続けていたところ、6月27日、プール西側のプール専用トイレでも石で隠された白骨死体が発見された。

最初に発見された腐乱死体は同年4月12日に自宅から姿を消した大町町の喫茶店アルバイト・百武律子さん(20歳)であることがわかった。

このトイレは2ヶ月に1度汲み取り作業が行なわれており、百武さんは失踪した直後に殺害され、ここに捨てられたらしい。百武さん宅と同小学校は約5kmほどの距離。6人家族で、百武さんは4人姉弟の二女だった。

失踪当日は母親が入院しており、他の家族も外出していて、家に1人でいた。20歳の誕生日を明日に控えていたが、これまで2度自殺未遂をしており、日頃「20の誕生日に自殺する」と漏らしていたことから、家族はすぐ公開捜査に踏み切っていた。


失踪直後の4月16日、山崎さんの父親宛てに「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」と書かれた手紙が届いた。同じ頃には「人捜しのテレビに出るな」という脅迫電話もあったという。

百武さんに続いて発見された白骨死体は北方町の山崎十三子さん(当時12歳)。遺体の上には丸い石が100個ほど積んであり、遺体を隠していた。山崎さんは75年8月27日夜に、スナック経営の母親(当時41歳)が勤めに出た後、自宅から姿を消した。いつもは母親のスナックの従業員控え室で勉強することが多かったようだが、この日に限って自宅にいたという。

これは友人と家で遊んでいたためで、友人は午後7時ごろに帰宅、その直後山崎さんは姿を消した。テレビはつけっ放しになっており、普段履いている靴もそのまま残されていた。

2人の被害者はいずれも家で1人で居る時に姿を消している。連れ去られたにしても抵抗した跡がないし、金品などの盗難もないことから、顔見知りによる犯行と見られた。

ある時、捜査本部に女性から一本の電話が寄せられた。

「私は大町町の出身です。いまは武雄市に嫁いでいますが、たまたま用事で里帰りをした夜、実家にいたとき、男が隣家の娘さん(百武律子さん)を車に運び入れるのを見ました。ただ姑との折り合いが悪いので本名で名乗り出ると、実家に帰ったのがわかってしまい、ひどく怒られます。ですから名前を明かすことはできません」

翌年3月12日、重要参考人として浮上していた武雄市内の農業Uさん(当時29歳)が、工員を殴ったとして逮捕される。別件逮捕だった。

Uさんが疑われた理由は山崎さんとも百武さんとも知り合いだったことだった。Uさんは百武さんの働く喫茶店によく出入りしており、彼女の姉と同居していた。結婚するつもりだったが、百武さんの家族に反対されていたという。

「Aは律子さんと交際しており、律子さんが失踪前悩んでいる様子だったのはこのことからだった」という噂もあった。

また、山崎さんの母親は以前に白石町内のクラブに勤めていたが、Aはその店にも常連として訪れていたという。

また捜査本部はAの友人を次々と逮捕し、彼らから情報を引き出そうとしたが、これといった証言を得ることはできなかった。結局、証拠がないため、2件の殺人事件について、Aへの追及は打ち切られている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「主婦、池上千鶴子さん殺害事件」

1981年10月7日、佐賀県杵島郡白石町の主婦・池上千鶴子さん(27歳)が帰宅途中に消息を絶った。

池上さんは北方町の縫製工場での勤務を終えて、午後5時半頃にスーパーで買い物をした後に行方がわからなくなった。最後に目撃されたのはスーパーの駐車場で、「乗用車に乗った30代の男性と親しげに話しているところを見た」と同僚が証言した。

それから2週間後、40km離れた三養基郡中原町の空地で池上さんの遺体発見。死因は電気コードによる絞殺で、性的暴行された跡はなかった。



続きあり


123: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:17:19 ID:dpL

>>122続き

「西山久美ちゃん殺害事件」

1982年2月17日午後4時過ぎ、佐賀県三養基郡北茂安町、北茂安小学校5年の西山久美ちゃん(11歳)は友達2人と一緒に下校した。

久美ちゃんは途中の大瀬橋付近で友達と別れ、一人で自宅に向かっていたのだが、この直後消息を絶った。いつまでたっても帰ってこない娘を心配した家族は同夜8時40分頃、警察に届けている。

翌朝、県警、地元消防団員ら約150人による捜索が始められた。久美ちゃん宅と学校までは3kmの距離で、捜索はこの間を重点的に行なわれた。

すると午前11時半頃、北茂安中学体育館北側の町道脇のミカン畑の中で、ランドセルを背負ったままの久美ちゃんの遺体が発見された。遺体はうつぶせで、下半身は裸、首にはストッキングが巻きつけられてあった。

久美ちゃんが何者かに殺される直前、車に乗った怪しい男が何人にも目撃されていた。まず同町の国道34号線沿い「キュウピィマーケット前」バス停でバスを待っていた主婦に、白い車に乗ってきた男が「乗っていかんですか」としつこく声をかけていた。

年齢は30から40ぐらいで、鼻筋の通った眼のきつい細面の男だった。主婦は男のあまりにしつこい誘いに「警察を呼びますよ」と断ったところ、男は睨みつけながら車に戻っていった。

続いて午後2時半頃、同じような白い車が同県神埼郡三戸田町の三戸田小学校の校舎の傍に停まっていた。ここは主婦に声をかけたバス停から約5kmのところである。時刻は低学年の児童らの下校時間で、白い車を降りた中年男は1人の児童に「そこに座んなさい」と声をかけ、「ピンクレディーの写真を見せるからこっちへ来なさい」と言いながら児童を抱きかかえて女子便所に連れこんだ。

ところが児童は大声で泣き出したため、男は何もせずに姿を消した。

午後時10分頃、白い車は再び北茂安町のあらわれた。下校中の北茂安中学校の女子生徒2人にしつこく話しかけ、午後3時半頃には小学2年の女児児童3人に「家まで送るから乗らんね」と声をかけている。久美ちゃんが姿を消すのはその30分後である。

麻美ちゃんが殺害されたと思われる午後4時半頃、殺害現場付近に白い乗用車が停めてあったのを主婦が目撃。この白い車に乗った中年男こそが犯人という線がかなり濃厚だった。

いくつかの目撃情報によると、白い車の車種は「カローラ」「スプリンター」、あるいは「ダイハツクオーレ」のようなタイプと見られ、ナンバーは「福岡???6950」。

男は30~40の細い目の中年で、ジャンパーに青いズボンを履いていた。ところがこれだけ目撃され、情報が提供されたものの、男の足取りは掴めなかった。

その手口や、遺体発見現場の近さなどから、池上千鶴子さん殺しの犯人と同一人物ではないかと見られた。



続きあり


125: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:18:56 ID:dpL

>>123続き

「更に3人の遺体発見」

1989年1月27日、佐賀県北方町志久の大峠付近の山林で、花をつんでいた主婦が崖下に投げ落とされていた女性の遺体を発見する。警察が急行すると、遺体の横に別の腐乱死体、さらに近くにも白骨死体があった。

現場の状況や、死亡時期の異なる3つの遺体に、佐賀県警は連続殺人の死体遺棄事件と断定。現場には持ち主不明の下着4枚とブラジャーなどが散乱していたが、新たな遺留品はゴミの不法投棄とまざって発見されなかった。

最初に発見された遺体は2日前の25日に行方不明となっていた北方町の紳士服縫製工場勤務・吉野タツ代さん(37歳)のものだった。白のスカートにカーディガンという失踪当時の服装のままで発見された。

吉野さんは失踪当日午後7時前に勤務先から帰宅。長男と実母と一緒に夕食をとっていたが、7時20分ごろ、電話がかかってきて吉野さんはあわてた様子で出かけていった。

このとき実母には「友人を山内町まで送ってくる」と言っているが、長男にはなぜか「友達と食事に行ってくる」と話していた。吉野さんは赤い軽乗用車で出かけていったが、この車はのちに武雄市内のボウリング場駐車場で発見されている。

なお、吉野さんの勤め先である縫製会社は、81年10月に殺害された池上さんの職場と同じである。

吉野さんの隣りでうつ伏せの状態で発見された遺体は同じ北方町の主婦・中島清美さん(50歳)と判明。中島さんは88年12月7日午後7時20分頃、「バレーボールに行く」と自宅を出たきり行方不明となっていた。

中島さん宅とバレーボールクラブの練習場所であるスポーツセンターは徒歩10分ほどの距離で、いつもは仲間と2人で出かけていたが、この日は仲間が休むため1人でセンターに向かっていた。

午後7時30分頃に、中島さんと思われる女性が、自転車に乗った女性としばらく立ち話をしているところを目撃されている。相手の女性は30~40歳ぐらいだったが、この女性の身元を割り出すことはできなかった。

最後までわからなかった白骨死体は、87年7月8日に行方不明となっていた武雄市の料理店仲居・藤瀬澄子さん(48歳)と判明。

藤瀬さんは温泉街の老舗割烹で、病弱な夫に代わって働いていた。失踪当日の夜、仕事が終ってから同僚と一緒に割烹近くのスナックへ行き、1時間ほど楽しく過ごした。そして同僚と別れて、自宅までの1kmの間で行方がわからなくなった。

1月28日、佐賀医大で司法解剖が行なわれたところ、吉野さんと中島さんの死因は窒息死、胃の内容物などから自宅を出て短時間に殺されていたことがわかった。

こうしたなかで同県内で以前に起きた迷宮入り女性殺害事件4件を含めて、同一人物によるものではないかという疑惑が浮上する。

7人中6人は水曜日の夜に失踪していたことや、被害者の失踪が半径3km以内で起こっていること、また犯行手口としては絞殺で、金品には手をつけた様子がないことが共通点として挙げられる。

一方で、最初の4件は11~27歳と子供や若い女性を狙っていたのに対し、新たに発見された3人は37~50歳と中年女性であるから、「つながりはない」という声もある。



続きあり


126: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:20:05 ID:dpL

>>125続き

「疑惑の人物M」

吉野タツ代さんと交際していたM(当時26歳)という男が浮上したのは遺体発見後まもなくのことだった。だが事情聴取したところ、Mは全面否定した。交際していたは認めたが、中島さんと藤瀬さんについては面識もないという。

89年10月、Mは覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される。鹿児島刑務所に拘置中に再び殺人事件について任意で聴取し、一旦は自供したという「上申書」を書かせた。

それによると、「吉野さんに軽トラック内で女友達の写真を見つけられ、口論となり殺害した」というものだった。

この自供について、覚せい剤事件の弁護士は「深夜まで取り調べを受け、捜査員から暴行を受けるなどしたため自供したが、今では否定している」と殺人事件との関連を否定し、行き過ぎた事情聴取を主張した。

藤瀬さん殺しの時効が直前に迫る2002年6月11日、窃盗未遂でまたも鹿児島刑務所で服役していたMが吉野さん殺しの容疑で逮捕された。(まもなく中島さん、藤瀬さんの件でも逮捕、立件。)

公判では16年前にMが書いていた上申書の任意性、信用性の有無が争点となっていた04年9月、地裁は「任意の取り調べの限界を超えて違法。信用性に疑いがある」と証拠不採用を決定した。

一方で死刑を求刑した検察はMが3人殺害に関わった根拠として次のような点を挙げた。

・吉野さんが行方不明となる前に会っていた(吉野さん失踪の夜、Mの車と吉野さんのものと見られる車が同じ場所で目撃された)。

・吉野さんの遺体には殺害の際の失禁の跡があり、Mの車の助手席から人の尿が検出された。

・Mの唾液が吉野さんの体に付着していた。(DNA鑑定による)

・遺体発見現場が同じである。

・アリバイを何度も変えている。

2005年5月10日、佐賀地裁は3件の殺人事件についてMに無罪判決を言い渡す。一審での死刑求刑に対する無罪判決は、64年の「名張毒ブドウ酒事件」以来41年ぶりのことだった。Mはその日じゅうに釈放されている。検察側は控訴。

07年3月19日、福岡高裁・正木勝彦裁判長は「決定的な客観的証拠は皆無。この程度の証拠で、重大事件について有罪とすることは、刑事裁判の鉄則に照らしてできない」と述べ、一審判決を支持した。検察は上告を断念し、Mの無罪が確定した。

同年8月20日、佐賀地裁は刑事補償法に基づき、国がMに580万円を支払うことを決定した。金額は拘置期間464日で、法定上限額の1日あたり1万2500円。



※この事件は風化させてはいけないと思い、誠に勝手ながらオワリナキアクム様より引用させて頂きました。ありがとうございます。


172: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/05(木)12:47:38 ID:FdL

>>122
これのAさんって急に出てきたけどUさんとは別の人?だよね?


173: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/05(木)22:07:22 ID:6fa

>>172
多分だけど同一じゃないかな


124: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:18:17 ID:DaL

俺得


127: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:20:07 ID:8W2

怖過ぎ


128: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:35:24 ID:dpL

【中国人少女殺人事件(仮)】



1993年11月、埼玉県坂戸市の越辺川河川敷で中国・上海出身で東京都板橋区に住む袁慧娜さん(当時10)の白骨遺体が発見された。

慧娜さんは7月30日に父親の知人へ電話をしたのを最後に行方が分からなくなっていた。その後知人が午後9時半ごろアパートを訪ねたところ、慧娜さんはいなかった。

部屋の電気が消え、ドアのかぎがかかっていた。室内は片付けられていて荒らされた形跡はなく、バッグと外出着・下着や靴がなかった。

慧娜さんの父親はその後、新潟県六日町で雇い主の鍼灸師父子2人殺傷事件を起こした。鍼灸師が慧娜さんを殺したと一方的の思い込んだうえでの犯行だった。

犯人は今だ捕まっていない。


129: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:51:26 ID:dpL

神隠しか【広島一家失踪事件】



広島県世羅町。岡山県との県境に近い山間の町で不可解な事件が起こった。同町に住むYさん一家がペットの犬とともに忽然と姿を消したのだ。

Yさん宅は建設会社勤務のMさん(58)と妻J子さん(51)、Yさんの母(79)の3人暮らし。他に愛犬の「レオ」が一緒に暮らしていた。美人と評判で町のキャンペンガールもつとめたことのある小学校教諭の長女Cさん(26)は、竹原市内にアパートを借りて独り暮らしをしていた。

事件が発覚したのは、2001年(平成13年)6月4日。この日は妻が勤める会社の中国への社員旅行の出発日だったのだが、集合時間になっても現れないJ子さんを心配して迎えにいった同僚が、誰もいないYさん宅の異変に気づいた。

Yさん一家は忽然と姿を消してしまっていたのだ。親族から捜索願いをうけ、広島県警甲山署は機動隊やヘリコプターを動員して付近を捜索するも、一家の姿を見つけることはできなかった…

奇妙なのはYさん宅の様子。

玄関の鍵は締まっており、侵入や争った形跡、血液反応もない。ただし勝手口の鍵は開いていた。J子さんの旅行代金や定期預金通帳も手つかずで残っていたことから、強盗などは考えにくい。Yさんの車がなくなっていたことから、その車で出かけたと思われるが、J子さんやCさんの携帯電話や免許証は残されおり、玄関からは4人分のサンダルが無くなっていたが靴はそのまま。

J子さんが行くはずの旅行に持っていくであろう鞄が準備されていた。またパジャマが見当たらず普段着が畳んであったことから、サンダル履きのパジャマ姿でほとんど何も持たず家を出たことになる。蒸発するにしてはあまりにも不自然な格好である。

それに電気がつけっぱなしで、翌朝の朝食が虫除けネットをかけた状態で準備してあったことを考えると、失踪は想定外の突発的な出来事であったと想像できる。

だが、状況や証言などからは拉致を疑わせるものは出てこない。先に触れたように争った形跡がないことや、近所の人が争う物音を聞いていないこともあるが、ペットの犬も一緒に姿を消してしまっていることが拉致の線を薄くさせている。

犯人が鳴き声など厄介が多い犬をわざわざ連れ出すことは考えにくいからだ。自らの意思で失踪したのだとしても、その動機が見当たらない。Yさん一家の周りには特にトラブルもなく、恨みをかうような人ではないと多くの者が証言している。

金銭的に困っていたという事実も出てこない。妻のJ子さんは旅行を楽しみにしていたし、長女Cさんは職場のアイドル的存在でトラブルの噂もない。そして将来を約束した男性がいて幸せの最中であり失踪する理由は一見無いのだ。


130: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/02(月)23:51:55 ID:dpL

>>129続き

Yさん一家はいったいいつ頃失踪したのか?

一家で一番最後まで消息がわかっているのは長女のCさん。前日PTAの球技大会とその後竹原市内での親睦会に出席し、午後9時半頃には同僚の教師を自らの車で送り届けている。

その時Cさんは、母のJ子さんと電話をしていたのを同僚が聞いていた。その内容はCさんが化粧品を忘れたので実家に取りに行くというもの。その後同僚は自宅前でCさんと別れている。これが最後の目撃証言となる。近所の人は午後10時50分頃に「バタン」という車のドアが閉まる音を聞いているが、それがCさんが降りた音なのか、Yさんの車に乗る音なのかは不明。

シーツに乱れた後がなく、翌朝午前4時に新聞配達員が訪れた時にはすでに人の気配がなくYさんの車もなかったことから、3日深夜から4日未明にかけての眠りにつく前に失踪したことになる。果たして深夜のYさん宅で何が起こったのであろうか…?

地元世羅町では、近くの大将神山で起きた神隠しになぞらえこの事件を語る者もいる。

江戸時代、お夏という女中が突然姿を消し、いくら捜しても見つからなかったという伝説があるのだ。山には「お夏の墓」があり、そしてその大将神山は、Y家が以前まで所有していた山というのである。


…失踪から1年程が経過した、2002年9月7日。

世羅町にある京丸ダムの湖底で、通行人が車が裏返しで湖底に落ちているのを発見、車のナンバーからYさん所有の車と判明し、車内から4人と愛犬の遺体が見つかった。

雨不足によって水位が減少したことが車の発見に繋がったのである。甲山署は

・遺体に目立った外傷がないこと・車のキーがささったまま

・転落したと思われる場所の入り口には車止めがあり誤って進入する場所ではないことや、関係者への事情聴取から納得いく動機が判明したこと等から、無理心中と判断した。

その動機は公にはされていないが、地元ではまことしやかに語られているという。。

ただし、無理心中としてもダムに飛び込むまでなぜ家族は抵抗しなかったのか?車の窓が開いていたのに逃げられなかったのか?といった疑問が浮かんでしまう。


131: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:09:18 ID:l9n

【1991/10/27女子中学生誘拐事件】



事件当日、中学1年の佐久間奈々さん(当時13歳)は自宅で友人2人と勉強会をしており、夜中に、夜食のお菓子を買うため、3人揃ってコンビニエンスストアへ出かけた。その帰り道に、補導員を名乗る40代くらいの男に声を掛けられ、奈々さんだけが連れ去られた。

奈々さんが連れ去られた27日の午前1時20-30分に、現場付近の交差点で、 奈々さんと男らしい2人連れを、通りがかった車の運転手が目撃していた。午前4時過ぎにも、隣接の住宅地、千城台の方を歩いている2人連れを目撃したとの証言もあった。

しかし、それ以降の情報はぷっつり切れたままの状態。それから21年後の2012年12月、千葉市126号線周辺が、日本国内の北韓工作員の秘密ルートであったことが明らかになり、北韓工作員に拉致されたとする説が提起され、事件が再び注目を集めたが、それも根拠の乏しい仮説であるとして葬り去られている。


132: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:16:57 ID:l9n

ちょい息抜きに俺が好きミーアキャットでもうp

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133: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:27:36 ID:l9n

【多摩保母殺人マンホール死体遺棄事件】



H9年1月4日、多摩市役所にマンホールから汚水があふれているとの連絡があり、職員が多摩市貝取1丁目の現場に駆けつけマンホールを空けたところ(結構、技術が要るらしい)中から座った状態の腐乱死体が発見された。

汚水があふれ出たのは腐乱が進み剥げ落ちた肉片が詰まったことによるものだった。鑑識の結果から被害者は前年、2月より行方不明になっている39歳の保母。同僚と別れ帰宅途中に行方不明となる。

警察は交友関係を洗い複数の容疑者(男)を対象とするがシロと判断。この中に多摩市役所勤務の妻子ある男性(業務上、マンホールの開け閉めができる)が浮かんだが、シロと断定された。

八木橋富貴子さんの行方はH8年2月27日午後9時頃新聞の集金人に目撃されたのを最後にわからなくなっている。同僚と別れた時の服装と発見時の服装は違っていた。

部屋からは平成2年と3年の日記がなくなっている。八木橋さんと交友関係があった男性で絞り込まれた数人の中の一人、多摩市役所勤務の男性、K氏だけは八木橋さん失踪当夜のアリバイが曖昧だった。


134: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:41:37 ID:lJR

なぜか写真が凄い不気味に感じる


136: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:53:24 ID:l9n

>>134でもどこか神秘的だと思わない?


137: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:07:15 ID:lJR

>>136
思う...


135: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)00:52:17 ID:l9n

現在も捜査が続いている【千葉市中央区中央港女性バラバラ死体遺棄事件】



出典www.police.pref.chiba.jp

平成20年7月11日、千葉港で釣りをしていた男性(当時35歳)が、停泊していたタンカーと岸壁の間に浮かぶマネキンのようなものを見つけ110番した。

男性から通報を受けた千葉県警の捜査員が引き上げると、頭部や四肢を切断された女性の胴体だった。胴体に着衣はなく、胴回りにはロープが結びつけられ、その先には重しが付けられていた。

その3日後には、胴体の発見場所から約300メートル離れた海中で県警のダイバーが、ロープで1つに巻かれ胴体と同じく重しを付けられた両脚を発見。切断面の形状から、遺体は死後、ナタのような重量のある刃物で切られた可能性が高いことなどが判明した。

しかし、頭部と両腕は現在に至るまで見つかっていない。遺体は死後5~10日が経過し、人為的に切断されたとみられる。

その後、金子さんの両親と遺体のDNA鑑定を行い、身元が判明した。女性は千葉市稲毛区山王町の無職、金子真由美さん(当時30歳)。金子さんは賃貸アパートの1階で男性3人と同居していた。

このうち1人が7月2日昼、金子さんを千葉市中央区の路上まで車で乗せた後、この日の夜から連絡が取れなくなったという。胴体と両脚が7月11日と14日に相次いで見つかった後、別の知人男性が「最近姿が見えない」と県警に連絡した。

金子さんは千葉県市川市出身。平成15年8月ごろに家出をし、兄(当時32歳)が行徳署に家出人捜索願を出していた。平成18年2月にいったん家に戻ったが、またすぐに行方不明になったという。

近所の女性によると、「(金子さんは)同居している男性が車で送り迎えをし、朝9時ぐらいに出かけて夜11時ぐらいに帰宅していた」という。金子さんらは閑静な住宅街にある2階建てアパートに住んでおり、家賃月約5万円で間取りは3DK。同居男性はいずれも50~60代で、派遣労働等で日銭を稼いでいたという。男性3人のうち「知人」といえるのは1人だけで、ほかの2人は部屋を分け合うだけの、知り合いともいえない関係だったという。

同居男性は、調べに対し「千葉港で女性の遺体があがったことは知っていたが、足の大きさが違うので彼女(金子さん)ではないと思っていた」などと供述している。捜査本部は両脚の発見時、金子さんの足の大きさを「約22センチ」と公表したが、金子さんは普段、それより大きいサイズの靴を履いていたといい、男性3人は「彼女じゃなくてよかった」などと話し合っていたという。

アパートには、金子さんの部屋に出入りする別の複数の男性の姿が周辺住民によってたびたび目撃されていた。また、 アパート前に場違いなベンツやロールスロイスなどの高級車がたびたび横付けされていたという目撃情報もあり、金子さんが不特定多数の男性と接触していた可能性もある。

出典www.police.pref.chiba.jp
千葉市中央区中央港(千葉港)
千葉市中央区中央港女性バラバラ死体遺棄事件まとめ
金子真由美さん


138: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:07:33 ID:lJR

>>135
これも不思議やなぁ


139: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:13:25 ID:lJR

支援貼り

エリサラム事件、このエレベーターでの不可思議な行動のあと、屋上の貯水槽で遺体で発見された

http://m.youtube.com/watch?v=DplEyiIvVDw


140: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:25:41 ID:l9n

>>139
重度の精神病だったのかな
精神病で死ぬって恐ろしいよな。きっと抗う発想すら生まれないんだろ?無理ゲー


141: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:26:31 ID:lJR

>>140
やっぱり精神病なんかな(´・ω・`)


142: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:34:51 ID:l9n

>>141
どうなんだろうね。はっきりは言えないけど


143: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:36:50 ID:l9n

迷宮入り【田畑作之介ちゃん連れ去り事件】



1978年3月3日16時半頃、大阪市住之江区で発生した轢き逃げ連れ去り事件。 被害者は現場近くに住む「田畑作之介ちゃん」当時3歳。近所に住むA君(5歳)と、近所の道路付近で遊んでいたところを、走ってきた車にはねらた。

はねた車から出てきた中年男は、『どこの子やろ?(救急車を待っている余裕はないので)自分の車でこの子を病院に連れて行く』と言い、作之介ちゃんを車に乗せて走り去った。

後のA君や目撃者の証言では、事故当時、作之介ちゃんは顔から血を流し重体。すぐにでも病院に運ばないと危険な状態であった。

一方、一緒に遊んでいたA君は、田畑さんの家に駆け込み、作之介ちゃんの母親に事故を知らせた。 知らせを聞いた母親は、A君と急ぎ現場に戻るも、そこには犯人の車も作之介ちゃんも見当たらない。犯人の残した言葉から、近隣の病院に問い合わせをするも、どの病院に問い合わせても作之介ちゃんが運び込まれた形跡はない。

4日になっても、作之介ちゃんが病院などで手当てを受けた形跡がないことから、警察は誘拐容疑事件とみて、住吉署に合同捜査本部を設置。目撃者の証言から犯人は「中年の男」と断定。モンタージュ写真づくりなど本格的な捜査を始めた。

しかし、その後も作之介ちゃんの行方はわからず、1983年3月3日午前0時に、業務上過失致傷、略取誘拐罪など5年の時効が成立した。

なお、上記は作之介ちゃんが生きていることを前提にした容疑になっているが、事故当時の状況から考えて、生存の可能性は極めて低いと言わざるをえない。

もし息絶え絶えの被害者を車に乗せ、人目に付かない場所に遺棄し、死なせたのであれば、殺人罪が適用されるが、当時の刑事訴訟法では、殺人罪にも15年の公訴時効があり、1993年に時効が成立している事になる。

目撃証言
夕方の人通りも多い時間帯だった事もあり、この事件にはA君の他に、 近くを自転車で通りかかった女性教師、少し離れた建築現場にいた作業員達など、大人の目撃者も多くいた。

彼らによると、犯人と車の特徴は以下の通りである。

・40歳くらいの男
・スーツ姿ではない
・車の色は白
・車種はカローラ?
・南の方へ走り去った

また、車が作之介ちゃんをはねた後、停止するまで数十メートルも走っていたという証言も出た。 現場に急ブレーキを踏んだ痕がないという現場検証結果からも、犯人の前方不注意が事故原因であった可能性が窺える。

目撃証言から数々のことが判明したが、肝心のプレートナンバーの判明までには至らなかった。 Nシステムもなく防犯カメラも未整備の時代。車を特定する事は出来なかった。


145: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:41:13 ID:CdU

これは眠れなくなるな


149: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)01:50:18 ID:l9n

不気味過ぎる【北関東連続幼女誘拐殺人事件】



1979年以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境、半径20キロ以内で発生しており、これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされている。

また、5つの事件はいずれも現在の群馬県太田市及び栃木県足利市のどちらかで発生しているが、そのうち、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」ともされている。

これら事件の特徴として、以下の点が共通点としてあげられている。

被害に遭ったのが4歳から8歳までの児童である点

3事件においてパチンコ店が行方不明の現場になっている点

3事件において河川敷で死体遺棄されている点

4事件において金曜、土曜、日曜および祝日に事件が発生している点

また、これら5事件全てが未解決事件となっており、犯人特定・犯人逮捕には至っていない。

日本テレビの報道特別番組『ACTION』や『バンキシャ!』で、記者の清水潔が「4件の誘拐殺人事件に加え、1996年に起きた太田市の女児連れ去り事件は連続事件なのではないか」とする観点から2007年1月から報道を続けている。

同番組では、足利事件の被疑者とされていた菅家利和が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにも拘らず、その5年後に類似事件である 「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし逮捕された菅家は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。

DNA型再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ真犯人と菅家のDNA型は一致せず釈放となった。2010年3月に再審で菅家の無罪が確定している。

2010年、足利事件の検証を行った最高検察庁は、足利事件を含む北関東で起きた事件が同一犯における連続事件の可能性を認めた。犯人が逮捕されない今、再犯の可能性が危惧されている。


150: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)02:45:56 ID:l9n

【日本航空123便墜落事故】※長編注意



1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した航空事故である。

運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[1]によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2014年4月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。

1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故(後述)後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされている。

これをもって公式な原因調査は終了している。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声があるが[誰によって?]、現在に至るまで行われていない。


続きあり


151: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)02:55:50 ID:l9n

>>150続き

[8月12日月曜日18時24分(離陸から12分後)緊急事態発生]

相模湾上空を巡航高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、23,900ftを通過したところで緊急事態が発生する。突然の衝撃音と共に123便の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、その際ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまう。

フゴイドやダッチロールを起こした機体は迷走するとともに上昇、下降を繰り返すものの、クルーの操縦により17分間は20,000ft (6,000m) 以上で飛行を続ける。

※フゴイド運動図解


※ダッチロール図解


18時40分頃、空気抵抗を利用する降下手段としてランディング・ギア(車輪などの降着装置)を降ろした後、富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、高度22,000ftから6,000ftへと一気に15,400ft (4,600m) も降下する。

その後、機体は羽田方面に向かうものの、埼玉県上空で左旋回し、群馬県南西部の山岳地帯へと向かい始める。

123便は衝撃音発生から墜落までの間、破片を落としながら飛行していたようで、相模湾と墜落現場だけではなく、東京都西多摩郡奥多摩町日原でも機体の破片が発見されている。その奥多摩町で撮影された写真によって、123便が垂直尾翼の大部分を失った状態で飛行していたことが初めて明らかとなった。


続きあり


154: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:11:01 ID:l9n

>>151続き

[コックピットと機体の状況]

衝撃音がした直後、高濱機長は航空管制官への無線交信で羽田空港への引き返しを要求している。

その際、管制官の「右と左のどちらへ旋回するか?」という問いに対し機長は、羽田空港へは遠回りになる「右旋回」を要求している。このことは「海山論争」として多くの議論を呼ぶ。

コックピットボイスレコーダーの解析によると、異常発生から墜落まで、操作不能状態の操縦桿やペダルなど油圧系の操作は佐々木副操縦士、進路の巡視・計器類などの監視・パネルの操作・管制官との交信・クルーへの指示などは高濱機長、エンジンの出力調整・緊急時の電動によるフラップとギアダウン、日航との社内無線交信、さらに副操縦士の補助は福田航空機関士がしていたと推測されている。

異常発生直後から油圧操作の効果がほとんどないにもかかわらず繰り返し操縦桿での操舵を試みるなど、クルーは操縦不能になった理由を最後まで把握できていなかった模様である。尾翼部分はコックピットからは目視できないため、パイロットは油圧系統全滅を認識しながらも油圧での操縦を試みている。

ボイスレコーダーには18時24分12秒から18時56分28秒までの32分16秒間の音声が残っている。近年、オリジナルに近い音声で元同僚パイロット協力のもと解析した結果、不明だった部分のうち16箇所が明らかになった。

初めに残っていた音声は「最初の衝撃音」直前の客室とコックピットとのやり取りだった。 本来当時のコックピット・ボイスレコーダーは30分の1/4インチ・エンドレステープレコーダー(始点と終点のない輪になったテープを巻いて用いるもの)であったが、30分を超える録音が残っているのは、たまたまテープに余分があったためである。

18時24分35秒頃、ボイスレコーダーに何らかの衝撃音が録音されている。衝撃音直後に機長の「まずい、なんか爆発したぞ」という発言が記録されている。
直後にオートパイロットが解除され機体(エンジン、ランディング・ギア等の表示)の点検が行われ、4つのエンジン、ランディング・ギア等に異常がなかったが、航空機関士が「ハイドロプレッシャー(油圧機器の作動油の圧力)を見ませんか」と提案する。

25分、機長はスコーク77を発信し東京航空交通管制部に羽田へ引き返すことを要求した。無線交信の後、機長が副操縦士に対し「バンク(傾き)そんなにとるなマニュアル(手動操縦)だから」「(バンクを)戻せ」と指示する声が記録されている。しかし、副操縦士は「戻らない」と返答した。その際、航空機関士が油圧が異常に低下していることに気づいた。

26分、機長は副操縦士に「ディセンド(降下)」と指示するが、直後に機長の「なんで降下しないんだ?」とも聞き取れる発言が録音されている。

27分、異常発生からわずか3分足らずで全ての油圧の喪失を示したとみられる「ハイドロプレッシャーオールロス」という航空機関士の音声が記録されている。


155: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:17:43 ID:l9n

>>154続き

同じ頃、客室の気圧が減少していることを示す警報音が鳴っているため、とにかく低空へ降下しようとした。しかし、ほとんどコントロールができない機体にはフゴイド運動やダッチロールが生じ、ピッチングとヨーイング、ローリングを繰り返した。

※ピッチング、ヨーイング、ローリング図解


そのため、墜落の瞬間まで頻繁に「あたま(機首)下げろ」「あたま上げろ」という言葉が記録されている。

31分頃、航空機関士に対し客室乗務員から客室の収納スペースが破損したと報告が入る。

33分、航空機関士が緊急降下(エマージェンシー・ディセンド)と同時に酸素マスク着用を提案、35分、羽田空港にある日航のオペレーションセンターとの交信では航空機関士が「R5のドア(機体右側最後部のドア)がブロークン(破損)しました」と連絡している。

37分、機長がディセンド(降下)を指示するが機首は1,000m余りの上昇や降下を繰り返すなど、不安定な飛行を続けた。

38分頃、これを回避するためにランディング・ギアを降ろそうとするが、油圧喪失のため降ろせなかった。40分、パイロットはランディング・ギアの自重を利用してギアを出すバックアップシステムを用いてこれを降ろした。この操作によって機体は右に大半径で旋回しながら降下し、同時にロール軸の振幅が縮小して多少安定した。

46分、高濱機長の「これはだめかも分からんね」との発言が記録されている。やがて機体は山岳地帯上空へと迷走していき、47分頃からは彼らの中でも会話が頻繁になり、焦りが見え始めていた。右、左との方向転換が繰り返し指示される中で、操縦している副操縦士に対して機長が「山にぶつかるぞ」と叫ぶなど、緊迫した会話が数回記録されている。この時機体は6,000ft (1,800m) 前後をさまよっていた。

48分頃には航空機関士が、操縦する副操縦士に「がんばれー」と励ますとともに、たびたび副操縦士の補助をしていた様子が記録されている。この頃からエンジン出力(パワー)の強弱で高度を変化させる操縦を行い始めたと思われる。機長の機首下げの指示に対して副操縦士は「今舵いっぱい」と返答している。

49分頃、機首が39度に上がり、速度は108kt (200km/h) まで落ちて失速警報装置が作動した。この頃から機体の安定感が崩れ、何度も機首の上げ下げを繰り返した。この間、機長が「あーダメだ。終わった。ストール(失速する)」と発言するまでに追い詰められながらも、諦めることなく「マックパワー(エンジン出力全開)」などと指示し続ける音声が残っている。

50分、「スピードが出てます」と困惑する副操縦士に機長が「どーんといこうや」と励ます音声が残っている。機長の「頭下げろ、がんばれ」との励ましに対して副操縦士は「今舵いっぱいです」と叫んでいる。この頃速度が頻繁に変化し、不安定な飛行が続いていたためか、副操縦士が速度に関して頻繁に報告をしている。

51分、依然続くフゴイド運動を抑えるために電動でフラップが出され、53分頃から機体が安定し始めた。


続きあり


156: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:21:02 ID:l9n

>>155続き

54分、クルーは現在地を見失い、航空機関士が羽田に現在地を尋ね、埼玉県熊谷市から25マイル西の地点であると告げられる。

その間、しばらく安定していた機体の機首が再び上がり、速度が180kt(330km/h) まで落ちた。出力と操縦桿の操作で機首下げを試みたが機首は下がらなかった。

55分01秒、機長は副操縦士にフラップを下げられるか尋ね、副操縦士は「はいフラップ-10(今10度下がっているという意味)」と返答し、フラップを出し機体を水平に戻そうとした。

しかし55分12秒、フラップを下げたとたん、南西風にあおられて機体は右にそれながら急降下し始める。55分15秒から機長は機首上げを指示。43秒、機長が「フラップ止めな」と叫ぶまでフラップは最終的に25度まで下がり続けた。

45秒、「あーっ」という叫び声が記録されている。50秒頃、機長の「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」との言葉に混じって副操縦士が「フラップアップフラップアップ」と叫び、すぐさまフラップを引き上げたがさらに降下率が上がった。

この頃高度は10000ft (3000m) を切っていた。56分00秒頃、機長がパワーとフラップを上げるよう指示するが航空機関士が「上げてます」と返答する。07秒頃には機首は36度も下がり、ロール角も最大80度を超えた。機長は最後まで「あたま上げろー、パワー」と叫ぶ。


続きあり


157: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:28:30 ID:l9n

>>156続き

クルーの努力も空しくJAL123便は降下し続け、18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。同17秒頃、機体はわずかに上昇し始めたが、18時56分23秒、右主翼と機体後部が樹木と接触した。

このとき、機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は346kt (640km/h) に達していた。

接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾いた。

26秒、右主翼が地面をえぐり、同時に機体の分解が始まった(垂直・水平尾翼、右主翼の脱落)。

28秒には機体後部が分離。機体は機首を下げながら右側に回転してゆき、18時56分30秒、高天原山の斜面に前のめりに反転するように衝突、墜落した。

18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。23秒の衝撃音の直前には、機長の「あーダメだ…」もしくは「もうダメだ…」とも聞き取れる叫び声も記録されていた。ボイスレコーダーに録音されていた音声は、後に活字で公表されたが、この叫び声は判読不能とされていた。

墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど大破したほか、両主翼も離断し、それぞれ炎上した。

一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。

これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇蹟的に生還できた。だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった。

即死した者も多かったものの、墜落直後の時点では客室後部付近を中心にかなりの数の乗客が生存しており、翌朝に捜索隊が到着するまでの間に次々と息を引き取ったという生存者の証言がある。生存者の証言通り多数の生存者がいたのか、事故のショックによる意識の混濁や幻聴によるものなのかは不明。


続きあり


161: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:58:27 ID:l9n

>>157続き

墜落から約20分後の19時15分頃、アメリカ空軍のC-130輸送機が墜落現場を発見し通報。アメリカ陸軍救難ヘリを現場へ誘導したが、日本側の要請により救助開始寸前に中止を命じられる。

19時21分頃、航空自衛隊のF-4戦闘機の2機も墜落現場の火災を発見して通報し、墜落から約2時間後の20時42分に百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターが現場上空に到着した。

しかし、本格的な夜間救難装備が無いことなどを理由に、事故当夜には救難員が降下しての救助活動は行われなかった。

墜落からおよそ14時間が過ぎた翌朝8時30分頃に、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近に降下し、その後陸上自衛隊第1空挺団員が現場に降下して救助活動が開始された。

実際に救助活動が行われたのが墜落から14時間経過した後であったことから、救難体制の不備や、緊急時における縦割り行政の問題点が指摘された。














152: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)02:57:04 ID:f2y

恐ろしいスレを開いてしまった


153: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:08:20 ID:l9n

>>152
ようこそ


158: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:31:49 ID:e7F

今来た
予想以上に不気味で怖いじゃねぇか…


159: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:40:18 ID:l9n

>>158
これらが自分の近くで現実に起きていると思うと恐いよな


160: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)03:42:32 ID:tj3

このスレのせいでミーアキャットが嫌いになった


162: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)04:04:51 ID:l9n

>>160
ミーアキャットたんを嫌いにならないで欲しいれす(^q^)


164: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)04:12:02 ID:l9n

長編終わり、お疲れ

何故未解決事件でもないこの事故を出したかというと、実は様々な憶測や陰謀論があるんだよ。ただ余計長くなりそうなんで、事故の概要だけにしとくから興味があればクグッてね


165: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)04:25:42 ID:lJR

最近テレビでやってた盛岡駅の失踪の事件も不思議だったなぁ


167: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/03(火)05:05:19 ID:l9n

お前ら気を付けろよ、こうやって眠い時間に事件やハンザイを延々と見ると脳に刷り込まれて自分がいつの間にかハンザイシャに成りかねんからな


171: 名無しさん@まにゅそく 2015/02/05(木)12:21:51 ID:6fa

俺得スレ


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