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■父や兄も地元政治家
16日投開票の沖縄県知事選で、立候補した4氏から翁長雄志(おなが・たけし)氏が当選確実となりました。翁長氏は那覇市長を務めた地元の実力政治家ですが、どんな人なのでしょうか。
写真=当選を祝い、カチャーシ-を踊る翁長雄志氏(中央)=16日午後8時32分、那覇市、福岡亜純撮影
翁長氏は1950年10月2日、米国による沖縄統治下の真和志村(現那覇市)で生まれました。父は真和志村長、兄は県副知事や県議などを務めた政治一家です。
法政大を卒業したあと、1985年に那覇市議に初当選。県議も務めたあとに、自民党の県連会長から那覇市長に転じました。妻と4人の子どもがおり、議場や市庁舎へは自転車通勤を率先していました。
■市長時代に『ちゃーがんじゅう課』
写真=第一声を上げる翁長雄志氏=2014年10月30日、那覇市、上田幸一撮影
翁長氏が50歳で那覇市長に初当選したのは2000年11月12日。この時、保守系が那覇市長になったのは32年ぶりで、沖縄の本土復帰後は初めてでした。それまでは「革新系」と呼ばれる非自民勢力が歴代市長を務めていました。
翁長氏は就任早々、市役所に「ちゃーがんじゅう課」を設置。それまでは「介護長寿課」でしたが、堅苦しいとして「いつまでもお元気で」という意味の沖縄方言に切り替えました。「本土から来た市民には分かりにくいのでは?」との声もありましたが、翁長氏は「せっかく来られたのだから方言の一つも覚えてもらえれば」とさらりとかわしていました。
また、2001年1月、那覇市の成人式では、新成人の騒動問題にも直面。当時、高松市では式典で暴れた新成人を告訴するなどしていました。那覇市では市民体育館の門扉が壊されましたが、2人の新成人が名乗り出て謝罪し、翁長市長は告訴を見送りました。
■「基地は沖縄経済の阻害要因だ」
写真=オスプレイの沖縄配備をめぐり、気勢を上げる翁長雄志那覇市長(前列右端)。米軍普天間飛行場のゲート前で開かれた集会で
今回の沖縄県知事選では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古地区(名護市)移設の是非が最大の争点になりました。もともと翁長氏は辺野古移設を容認していましたが、2009年に鳩山政権が「県外移設」を模索すると、移設反対を鮮明に。その後、政府が辺野古移設に戻っても、立場を変えませんでした。
翁長雄志氏は選挙戦の最終日、「米軍基地を戦後69年間もほうっておいて、これからも50年も100年も置いておこうということは、断じて許せない」「沖縄は基地で物を食べているわけではない。基地は沖縄経済の発展の阻害要因になっている」と訴えました。
現職知事で対立候補となった仲井真弘多氏(75)については「あの県知事がまるで振興策と新基地建設をリンクしたかのような誤ったメッセージを本土の人や、日本政府、アメリカ政府、いろんなところに発信した。これを打ち消すのがまずこの知事選の一番重要だ」と主張しました。
(>>2以降に続く)
(>>1の続き)
3選をめざす現職の仲井真氏が政府など「本土との近さ」を強調したのに対し、翁長氏陣営は共産、社民、沖縄社会大衆などのほか、一部の自民系地方議員も巻き込み、保守と革新をないまぜにした「オール沖縄」で臨みました。
陣営の会合は「はいさい、ぐすーよー(皆さんこんにちは)」というウチナーグチ(沖縄言葉)で始めるという徹底ぶり。
沖縄には、自民党系候補の選挙を支えるため、1998年に六つの地元企業グループでつくった「六社会」があります。しかし、今回の知事選で翁長氏は、県内ホテル大手、かりゆしグループの平良朝敬CEO(最高経営責任者)と、建設・小売業、金秀グループの呉屋守将会長から支援を受けるなど、従来とは違う選挙戦を展開しました。
(終わり)
ハワイの経済構造とかは、もちろん知ってるんだろうけど。
沖縄は自ら紛争地帯になることを選んだ
今後どのようなことが起ころうとも決して日本のせいにしないでいただきたい
沖縄ナショナリズム
政治家ってやっぱ世襲ばっかだな
引用元: http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1416162434/
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